2017年9月18日、ヨーロッパ最大級の文化複合施設バービカン・センターの壁に描かれた2つの『バスキアの壁画(Basquiat Murals)』。バンクシーは、いずれも自身の作品であることを、公式インスタグラムと公式ウェブサイトの両方で認めました。
9月21日から同館で開催される、イギリスで20年以上ぶりとなるジャン=ミシェル・バスキアの回顧展に先立ってバンクシーの壁画が登場しました。
この記事では、『バスキアの壁画(Basquiat Murals)』について、意味やメッセージを詳しく解説していきます。ぜひ最後までご覧ください。
バンクシー展 GMOデジタル美術館 東京・渋谷に行ってみた!
バンクシー名言128選!英語&日本語の意味・メッセージも合わせて解説
バンクシー『警察官に歓迎されたバスキア』の意味
『警察官に歓迎されたバスキア』と題したバンクシーの壁画は、バスキアが1982年に発表した『Boy and Dog in a Johnnypump』を彷彿とさせる。犬を連れた少年(おそらくバスキア本人)が、警察官の厳しいセキュリティチェックを受ける様子を描いています。
『警察官に歓迎されたバスキア』の意味は、白人警察官にボディチェックされるバスキアです。
両手をあげて無抵抗の態度を示す少年を2人の警察官が囲んで身体検査する様子は、白人警察官による黒人の射殺事件を連想させます。
アメリカでは白人に比べ黒人男性が職務質問を受ける確率が高く、捜査における「レイシャルプロファイリング」に批判の声が上がっています。
レイシャルプロファイリングとは、人種や肌の色、民族、国籍など特定の属性を根拠に、個人を捜査の対象としたり、犯罪に関わったかどうかを判断する警察および法執行官の慣行を指します。
ロンドン警察に歓迎されているバスキアの肖像画。バスキアの回顧展に合わせた(非公式な)コラボレーション
1980年代ニューヨークのアートシーンにおけるアイコンだったバスキアは、ハイチ系移民の父親とプエルトリコ系移民の母親を持ちます。そして、バスキアは白人中心のアート界でスターとなった、初の黒人アーティストとも言われています。
もし、バスキアが現代に生きていたとしたら白人警察官の理不尽なボディチェックの対象になっていたのかもしれません。
バンクシー『警視庁に歓迎されたバスキア』のモチーフ
『警察官に歓迎されたバスキア』は、バスキアの有名な1982年の絵画『Boy and Dog in a Johnnypump(消火栓の中の少年と見守る犬)』からインスピレーションを得ています。
この絵画には、ほぼ骸骨のような黒人男性が描かれており、消火栓(ニューヨークのストリートスラングで「ジョニーポンプ」)の水しぶきの中で、同様のスタイルで描かれた犬とともに描かれています。
バスキアは、少年と犬を内側から外側まで描き、その周囲の赤、黄色、オレンジは「灼熱の夏の風景」を暗示しています。
バンクシー『観覧車』の意味は、バスキアの王冠?
『観覧車』と題したバンクシーの壁画は、バスキアが頻繁に使用した王冠を彷彿とさせます。王冠をかたどった観覧車に乗るために、人々が列をつくる様子を描いています。
『観覧車』の意味は、バスキアの回顧展に並ぶ人々を指します。
バスキアの新しい大規模なショーがバービカンで開幕します。普段は壁の落書きを消すことに非常に熱心な場所です。
バスキアは、ミュージシャンやスポーツ選手などヒーローを象徴するために王冠を描いていました。そして、同じ王冠をかぶっている自分自身も描いていました。
『バスキア回顧展』をより成功させたバンクシー
このバスキア回顧展は、英国内では過去最大規模と言われ、100点以上の作品や貴重なアーカイブ映像、写真、資料が展示されました。
展覧会期間中、バンクシーの壁画が破壊されることを恐れて、市は迅速に警備を手配しパースペックスと呼ばれるアクリルシートで作品を保護します。その後、米国のアーティスト、ダニー・ミニックが自身の作品を追加しました。バスキア回顧展に来場した人の多くは、バンクシー作品も鑑賞しており、バンクシーの壁画のおかげでさらに注目を集めた回顧展となりました。
DJやミュージシャンとしての顔も持ちながら、27歳で生涯を閉じたアーティストの短くも多彩なキャリアを総括する回顧展は、216,389人の来場者を記録しました。
過去35年間のバービカン・センターでの美術展の中で、最も成功した展覧会と言われています。
ストリートアートから活動を始めたバスキアは、ニューヨークのポストパンク・アングラ時代の芸術を象徴する存在でした。また、アンディ・ウォーホルやキース・ヘリングらとの交流でも知られ、自身の経験を通して人種差別、権力の濫用、格差などの社会問題に鋭い眼差しを向け、ブラックユーモアと痛烈な批評性を含む作品を世界各地に出現させました。
バスキアの死から30年が経とうとしている今も、社会の抱える課題は変わらず山積しているというメッセージなのかもしれません。
バスキアの死因
バスキアは、1988年にヘロインの過剰摂取により27歳で亡くなりました。
バスキアの生前、すでにポップアートの旗手として知られていたアンディウォーホルは、バスキアにとって憧れの存在でした。バスキアがまだ無名だった10代の頃、偶然見かけたウォーホルに自作のポストカードを売り込んだという逸話もあり、2人のアーティストは共同制作を行うまで親交を深めました。
しかし、1987年にウォーホルが心臓発作で急逝。大きなショックを受けたバスキアは、以前から使用していた薬物にさらに依存するようになり、過剰摂取で跡を追うように翌年亡くなってしまいます。
バービカンに現存するバンクシー×バスキア
バービカン・センターには、現在も『バスキアの壁画(Basquiat Murals)』が存在しています。
いかなるグラフィティもすぐ消されるはずのバービカン・センターだが、バンクシー壁画となれば話は別ということだろうか。バービカンの落書きへの不寛容ポリシーをあざ笑うかのごとく、施設への道筋を示す標識をあえて上書きするように描かれています。
『バスキアの壁画(Basquiat Murals)』のある場所は、「Golden Ln, Barbican, London EC2Y 8HD イギリス」です。
バンクシー非公式マガジンBANDALのTwitter
バンクシー非公式マガジンBANDALでは、Twitterにて作品解説をしています。
ぜひ、フォローしてみてください!