バンクシー作品『ケイトモス』は、アンディ・ウォーホルの『マリリン・モンロー』のオマージュ作品です。ポップアートの巨匠が描いた名作をモチーフにした『ケイトモス』の意味とは、世界的な大衆文化の顔は移り変わっていくというメッセージです。
バンクシーは、アンディ・ウォーホルに敬意を表し、象徴的な「マリリンモンロー」のシルクスクリーン絵画を現代版にアップデートしています。モスは現代のモンローに相当する人物として描かれており、どちらもそれぞれの時代のセックスシンボルです。そして、バンクシーが21世紀のアンディ・ウォーホルであるということを示唆する作品となっています。
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バンクシー版マリリンモンローの意味は、時代の移り変わり
バンクシーの『ケイトモス』は、モンローの髪はそのまま、顔をイギリスを代表する90年代のトップモデルに入れ変えています。この作品のモチーフは、明らかにアンディ・ウォーホルの象徴的な「マリリン・モンロー」です。
ウォーホルのモンローの肖像画は他の作品と同様に、名声の美化であると同時に、それを見世物として風刺するものでもありました。ポップアートの美学によって見せ方を美化した作品は、カラーバリエーションはさまざまに、鮮やかな色で描かれています。
アンディ・ウォーホルが描いた、大衆文化の中で即座に認識できる人物(アメリカの女優、モデル、歌手)の顔を、世紀末を決定づけた人物(イギリスのスーパーモデル)の顔に置き換え再構築したバンクシーは、色と構成に対する鋭い社会的論評と辛辣な機知と混ぜ合わせてオマージしています。
バンクシーとケイトモスの逸話
バンクシーは、ケイト・モスの結婚祝いに特別なエディションを贈ったと言われています。
2011年、新婚旅行先の地中海から改装中の自宅に戻ったケイト・モスは、バスルームにアート作品が置かれているのを見つけ、とても驚いたそうです。
バンクシーがどうやって自宅に入ったのか。作品を依頼したのが誰なのか。もしくは、誰がバンクシーを自宅に招き入れたのかなど、詳細は謎のままです。
2010年には北ロンドンの自宅にバンクシーの作品を15万ポンドで依頼したこともあるほど、昔からバンクシー好きを公言していたケイト・モスは、バンクシーからのウェディングプレゼントにとても喜んだという逸話が残っています。
『ケイトモス』の存在
ケイト・モスは、300以上の雑誌の表紙を飾り、2007年にはタイム誌の世界で最も影響力のある100人に選出された、現代で最も有名な顔の1人と言われています。
モスは25年間にわたってファッションの歴史に貢献し、彼女の顔は世界的な大衆文化の一部として有名になりました。
『マリリンモンロー』の存在
「マリリンモンロー」のスクリーンプリントは、アンディ・ウォーホルの代表作の1つです。
ウォーホルは、ジーン・コーマンが撮影した1953年のマリリンの映画『ナイアガラ』の宣伝用ショットを引用して作品を描きました。
各プリントのサイズは36×36インチで、彼女の活発な性格を反映するために鮮やかな色で描かれています。ほとんどのバージョンで、彼女の象徴的な唇が深い赤色で彩られており、黄色はプラチナブロンドの髪を強調しています。
「マリリンモンロー」は、ウォーホルが1962年に描き始めた初期のシルクスクリーン絵画です。
その華やかさで世界中の人を魅了したマリリンは、1962年8月に悲劇的な死を遂げます。
ウォーホルは彼女の死後、女優としての名声がいかに飛躍的に高まったかに魅了されました。そして、1967年に宣伝広告のような鮮やかなアイコンを複数発表し、マリリンを不滅の存在にしました。ただ、銀と黒で彩色した暗い作品もあり、白黒の映画スクリーンに映る彼女と、彼女の死を思い出させます。
ウォーホルは、ポップカルチャーと版画制作などの商業プロセスを受け入れ、イメージを流用してアメリカ文化を表現しました。最終的に、鮮やかな色と反復的のイメージは、彼女のどこにでもいる有名人としての地位を呼び起こし、マリリン・モンローに命を吹き込んでいます。
バンクシーとアンディウォーホルの関係
芸術制作に対する一貫したメッセージと革新的なアプローチ、歯に衣着せぬ社会的発言により「現代のウォーホル」と呼ばれることも多いバンクシーは、セレブのイメージを『ケイト・モス』に組み替え、再利用することで作品をさらに注目させました。
アンディ・ウォーホルとマリリン・モンローが1950年代と1960年代のアメリカの大衆文化の象徴であるのと同じように、バンクシーは21世紀のマリリンの後継者としてケイト・モスを引用して、21世紀初頭の社会と文化を反映した歴史的作品を作成しました。
これは、バンクシーの一貫したメッセージである「名声」と「メディアの美化」に対する問題提起です。また、ポップアーティストの消費主義と1960年代アメリカの超資本主義の具現化についても問題提起しており、2005年10月に開催した初のギャラリー展覧会「Crude Oils(再混合された傑作のギャラリー:破壊行為と害獣)」では、さらに強く問いかけています。
ウォーホルがポップアートの美化によって「不滅の存在」にしようとしたマリリンモンロー。
それを、現代のウォーホルはケイトモスに組み替え「永遠の不滅はない」「時代は移り変わる」「万物流転」という愛のある皮肉を込めています。
アンディウォーホル『マリリン・モンロー』オークション結果
「マリリンモンロー」 のフルスイートは、1967年にニューヨークのエトナ・シルクスクリーン・プロダクツによって印刷されました。
各エディションは250部あり、鉛筆で署名され、裏面にゴム印で番号が付けられています。これらのプリントの中には、裏面にイニシャルが入っているものと、日付が入っているものがあります。各エディションには、裏面に26個の「AP」の署名と「AZ」の文字が印刷されています。
そして、2022年5月8日のクリスティーズ・ニューヨークに出品されたアンディ・ウォーホルの『マリリン・モンロー』は、1.95億ドル(約250億円)で落札されました。この落札額は、20世紀のアーティストで過去最高を記録しています。
バンクシー『ケイトモス』オークション結果
『ケイト・モス』は、 2005年に署名入りのライトブルーが限定50枚で、初めてリリースされました。
その後すぐに、6色シリーズ(ピンク・アプリコットゴールド・ブルーグレー・グリーンターコイズ・ホットピンクライム・パープルレッド:各20枚)が120枚リリースされます。また、すべてモノクロの非常に限定された12枚のアーティストプルーフと、5枚の複製されたキャンバス作品が存在します。
バンクシーの『ケイト・モス』は、最初にセット作品としてリリースされたとき、アート市場ではあまり良い値段ではなく、50,000ドル近くの落札額でした。しかし、約4年後カラフルで有名な『ケイト・モス』の特別バージョンは、1作品につき8桁にも達するオークション価格にまで上昇しました。
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