正体不明の覆面アーティストという匿名性を維持しながらも世界中で人気を集めるバンクシー。億越えの高値で取引されることもあり、2021年3月24日には、医療従事者を讃えるため病院に寄贈した「Game Changer(ゲームチェンジャー)」が過去最高額の1,670万ポンド(約25億円)で落札されました。
その名は日本にも知れ渡り、非公式の展覧会「バンクシー展」が開催されたり、通販サイトでバンクシーの偽物が販売されるなど、その影響力を利用したビジネスも多く見られます。
著作権を行使せず、ステンシルという即時性を優位にしたことで誰にでも簡単に真似できてしまう、世界で1番偽物が多いアーティストとも言われるバンクシー。
あなたは、もしバンクシー作品が60ドル(約7,200円)で路上販売されていたら、購入しますか?
ニューヨークに集まる目の肥えた群衆
2013年10月1日、バンクシーはニューヨークで「Better Out Than In」というアーティスト・レジデンシーを開催しました。
1ヶ月間、毎日、市内のどこかでレジデンス作品*を制作または設置し、公式サイトかインスタグラムでその写真を公開するというゲリラショーです。作品は、精巧なグラフィティ、大規模な彫刻、ビデオインスタレーション、標準以下のパフォーマンスアートからいずれか1つが公表されました。
レジデンス作品*とは、アーティストが一定期間ある都市に滞在し、いつもと異なる文化環境で制作する作品のこと。 制度の名称は「アーティスト・イン・レジステンス(AIR)」 |
「Better Out Than In」では、街を美術館のように感じる仕掛けを施していました。その仕掛けとは、公式サイトに公表した作品に音声ガイドを設けたことです。サイト内の作品の横にある番号に電話すると、音声ガイドが流れるシステムで、ニューヨークの街をまるで音声ガイドを備えた美術館のように楽しむことができます。
ニューヨークに集まったファンは公表された写真を頼りに、誰よりも早く作品を見つようと躍起になりました。なぜならストリートに描かれた作品は、24時間以内に見れなくなることが多くあったからです。消されたり、塗りつぶされたり、隠されたり、撤去されたり、盗まれたりする作品をいち早く見つけてはインスタに投稿することを楽しみました。
これは、2021年に一世を風靡した招待制の音声SNSアプリ「Clubhouse」が熱量を持ってユーザーに迎えられた特徴、FOMO(fear of missing out、見逃すことに対する恐怖感)にも共通するところがあります。そして、インスタグラムのいいね・シェア・フォローが社会通貨になり始めていた2013年当時、人々は宝探しのようにバンクシー作品に熱狂していました。
フォーブス、タイムズ、ニューヨークタイムズなどの報道機関はすべて、バンクシーのニューヨークでの滞在について、Instagramのハッシュタグ#banksyny で報告しています。
Art Sale(60ドルで露店販売された本物のバンクシー作品)13日目
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ニューヨークに集まった人々が、インスタに投稿しようと躍起になっている10月13日に、公表した作品が「Art Sale(60ドルで露店販売された本物の作品)」です。翌日10月14日にバンクシーは自身のインスタグラムでこのような投稿をしました。
昨日、100%本物のサイン入りキャンバスを販売する露店を公園に出しました。それぞれ60ドルです。注意:これは1回限りで、露店は二度とやりません。動画があるから公式サイトに見にきて。
公式サイトに公開した動画は「Art Sale」というタイトルで、サムネイルには帽子にサングラスのおじいちゃんが映っています。セントラルパークの入口がある5番街に出現した露店販売には、バンクシーの代表的な作品のスプレーアートキャンバスが約25枚並んでいます。
NYは素晴らしい快晴の日だ。今日は社会的実験(Social Experiment)をしよう
そう言って始まるこの作品の音声ガイド。訪れた人は、本物のバンクシー作品をわずか60ドルで購入できるチャンスがありました。
バンクシーの知名度も高くなった2013年10月、Big Apple(ニューヨーク)の中心で1種の実験が始まりました。
バンクシー作品は、60ドルの露店販売でどれだけ売れるのか実験してみた
作品を60ドルで売ってみようと思う。誰が幸運になるか見てみよう。。。
あれ? ここに座っているのは、退屈な仕事だな
バンクシーのネームバリューを考えると途方もなく低価格であるにもかかわらず、ニューヨーカーや観光客はどんどん通り過ぎていきます。NEWSにも取り上げられ話題になっているバンクシーでしたが、実際に興味を示しているの人はほんのわずかです。ほとんどの人はまるで「EXIT THROUGH THE GIFTSHOP(直訳:お土産屋を抜けて出口へ)」と言わんばかりに通り過ぎていきます。
まだ売り上げはない。これは悪い考えだったと思い始めます
11:15から販売を始めてランチタイムになったが、まだ売り上げはありません。
なぜ、売れないのか?
- 商品が、全て「キャンバスに描かれたスプレー作品」だからなのか。
- 路上販売の値段が、60ドル(約7,200円)という、絶妙な値段だからなのか。
- 場所が、誰でも買える露店だからなのか。
- 販売促進が、通行人にしかされていないからなのか。
15:30にようやく初めての買い手が現れます。
最終的に3人がマンハッタンの露店でバンクシー作品を購入
1人目の購入者は、自分の子どもにと小さなキャンバス作品2つを購入した女性でした。ただ、50%offという値段交渉の上での購入でした。初めてお金を受け取ったおじさんは、口をあんぐりさせながら大切そうにお金をカバンにしまっています。
バンクシーを60ドルで手に入れたことを想像してみてください
2人目の購入者は、30分後の16:00に現れました。ニュージーランド出身の女性は2つの作品を購入した後、おじさんとしっかりと握手を交わして歩いていきました。おじさんは、嬉しそうな表情を浮かべています。
本物か聞かれたので、もちろんと返事した
そして、3人目の購入者は1時間半後の17:30に現れました。シカゴから来た男性が「ちょうどいい壁飾りを探していた」と、新しい家に飾るため4作品を購入し満足な買い物が出来た様子で、おじさんとがっちりハグして帰っていきました。
18:00に閉店した露店。1日かかって販売した合計売り上げは、420ドル。全部で8作品が売れたのです。
「お疲れ様でした」と労うが、ショーは明日も続く
購入した3人が、バンクシーを知っていたのかは定かではありません。ただ、おじさんが売っていた60ドルの作品が、本物のバンクシー作品だったとは夢にも思わなかったでしょう。
誰も本物作品の路上販売を望んでいないので、私は撤収します。
ニューヨーカーの審美眼を持っても、スプレー版画を本物かどうかを確かめようとした人が誰もいなかったことが最大の皮肉です。もし、ラルフローレン自身が路上に店を構え、店頭でも手に入らないオリジナルのデザインを販売した場合も同じことが起こるでしょう。人々は人気があり、知られ、主流のものを探しているので、彼もおそらく無視されるでしょう。
音声ガイドは「Another day, Another dollar(今日はこの辺にしておくか、お疲れ様)」と言って締め括られる。これは、19世紀にアメリカの船乗りが1日1ドルのために働いていた時代にできた言葉と言われています。今では「生活のため」という意味で、仕事の最後によく言われることわざです。
ガーディアンによると、販売された時点で、作品は約£140,000と見積もられると予想されていました。
2人目のNZ出身の購入者は、60ドル作品をオークション販売しました
2人目の路上バンクシー購入者であるニュージーランドの女性は、60ドルで購入した2点の作品をボナムズの現代アートのセールに出品し話題を呼びました。2014年7月2日、Bonhams(ボナムズ)の「Post War & Contemporary Art」オークションにて、2点の作品をそれぞれ£70,000と£50,000で落札されました。
ボナムズの現代美術部門の責任者であるガレス・ウィリアムズ氏は、セントラルパークの路上販売はクーデターだと語りました。
彼の絵画がオリジナルであり、真の小売価格のごく一部で提供されていたという事実は、市場における商品としての価値の認識と芸術の性質についての本当の疑問を提起します。これは芸術家が鋭く認識しなければならないことです。
バンクシーは「モノの価格規定」に問題提議した
「今日は社会的実験(social experiment)をする」と宣言して始まった「Art Sale」。バンクシーはこの実験を通して「モノの価値規定」について、一石投じたのではないかと推測されます。
ポイントは4つあります。
- 商品が「全てキャンバスに描かれたステンシル作品」
- 値段が「60ドル(約7,200円)」
- 場所が「誰でも買える露店」
- 販売促進が「通行人のみ」
オークションでは競り上がり高値がつくバンクシー作品ですが、わずか60ドルのバンクシー作品にも通行人は興味を示しません。バンクシーのサインも入っているので、見る人が見れば本物とわかります。今でこそ、通販サイトでバンクシーの複製作品を購入する人もいるのでしょうが、この時はほとんど足を止めなかったのです。
それも無理はありません。安い土産屋が並ぶ通りに、老人がバンクシーの作品を売っていても「偽物」としか思えないでしょう。しかも、60ドル(約6,600円)という値段は決して安くはなく、偽物と思っているものに払うのならなおさらです。安い観光土産を売っている他の多くの中で、それらはそれぞれ60ドルで途方もなく高価です。
躍起になってバンクシーの新しい作品を探しているファンたちがニューヨーク中にいると言うのに、ほとんどの人が気づくことなく、数点しか売れなかったのは1種のアイロニーとしか言いようがありません。
この事実は、ネットで出回り話題となった作品には群集が押し寄せ、超高額商品に変貌するにも関わらず、予告無しに路上に出せばほとんどの人が見向きもしないという、アートという商品の不確かさを暴いてしまうものでした。
「モノの価値」は誰が決めていますか?
バンクシーは、次のように述べています。
すべてのストリートアートをその場所に保持するために、そもそも販売用に作成されたものでない限り、誰も何も買わないように勧めたいと思います。
また、バンクシーはニューヨーク出版会社VillageVoiceとの電子メールによるインタビューで、1か月にわたるニューヨーク滞在へのある考えを明らかにしました。
ストリートアートはますます商業芸術のマーケティング部門のように感じることができるので、値札を付けずにアートを作りたかった。
ギャラリーショーや本や映画はありません。それは無意味です。それはうまくいけば何かを意味します。
偽物も多く流通する今日、もしバンクシー作品が、わずか60ドル(約7,200円)で路上販売されていたら、あなたは購入しますか?
露店には、暇そうにあくびしながら店番しているおじさんがいます。交渉したら半額にしてくれるかも?